フェルメール家を支えた義母マリア・ティンスとは?
フェルメールは実父の宿場を20歳で継ぎましたが、経営はうまくいかず、経済的には裕福とは言いがたかったようです。
しかし、当時、市販の絵の具の100倍の金額がしたと言われる「フェルメール・ブルー(ウルトラマリン・ブルー)」を存分に使うことができました。
なぜ、裕福ではないフェルメールがウルトラマリンブルーの塗料を使うことができたのでしょうか?
それは、フェルメールの義母マリア・ティンスの存在が大きかったと言われています。
この記事では、そんなフェルメールの義母マリア・ティンスについて紹介します!
フェルメールとカタリーナの結婚
当初、妻カタリーナの母マリアは娘とフェルメールの結婚に反対していました。
それはマリアとカタリーナが少数派のカトリックであったことに対して、フェルメールがカルヴァン派のプロテスタントであったことや、資産家であったマリアにとってカタリーナとフェルメールの結婚は身分不相応なものだと考えていたことが関係していたようです。
しかし、マリアと同じカトリック教徒であった画家ブラーメルの仲立ちにより、この結婚を是認もしないが、反対もしないことをマリアは承認しました。
結婚後、2人はメーヘレンに住んでいましたが、フェルメールが28歳の頃、一家でマリアの家へ引っ越し、そこにアトリエを構えています。
マリアの家はデルフトの街の中心、マルクト広場に近く、一帯にはカトリック教徒が多く住んでいました。
裕福な義母マリア・ティンス
マリアの家はかなり資産家だったようで、その家を彼女の兄がおよそ2400ギルダーで購入したと言われています。
当時、600〜800ギルダーで購入できたというので、マリアの家は豪邸の部類だったと言えそうです。
作品に登場する高価な小道具や豪奢家具もマリアの所有物であった可能性が高いです。
当初結婚に反対していたマリアですが、終始娘の経済的な支えとなり、まだ若い画家の活動をも支えたのです。
フェルメールの作品に出てくる画中画やオコジョの毛皮などは義母のものであったとされています。
おわりに
この記事では、フェルメール家を支えた義母マリア・ティンスについてまとめました。
フェルメールの大作たちは、義母の支えがあってできたのでした。
下記では、他にもフェルメール作品(全37作品)を一覧にしてまとめていますので、ぜひこちらもご覧ください。