その他

フェルメールの師匠は誰か?徹底考察【決定版】

フェルメールの師匠は誰か?徹底考察【決定版】

17世紀オランダでは、画家になろうとする者はおよそ6年の修行を必要としました。

修行は顔料の準備、カンヴァスの張り方といった下ごしらえから始め、デッサンや、構図、彩色といった実制作へと進んでいきます。

たいていの若者は、基本をマスターすると、最後の1、2年は師を代えてさらに研鑽を積んだり、腕が高い場合は、助手として師の工房制作の一翼を担ったりしました。

自分の作品に署名を入れ、注文を取り、販売できるようになるのは、聖ルカ教会と呼ばれる画家連合に登録して以降のことです。

フェルメールもこういった過程を踏んでいったに違いありません。

耳飾りちゃん

この記事では、そんなフェルメールの師匠とされる人は誰なのかについて紹介します!

カーレル・ファブリツィウスやレオナールト・ブラーメル

カーレル・ファブリツィウスやレオナールト・ブラーメル
耳飾りちゃん

実は、フェルメールの師匠を確定できる史料はありません。

作品の特徴的にこの人物しかいない、という画家も見当たりません。

過去には『デルフト市誌』でその跡を継ぐと記されたカーレル・ファブリツィウスや史料からフェルメール家と行き来が確認でき、フェルメールの結婚の立会人も勤めている同郷デルフト出身の画家レオナールト・ブラーメルが師として候補として挙げられることもありました。

フェルメールの師匠はいない?

耳飾りちゃん

注目すべきはフェルメールが1653年12月29日にデルフトの聖ルカ組合に支払わねばならなかった入会金6ギルダーです。

会の規則では、デルフト市民で、親がすでに組合員で、組合員のもとで2年以上の修行をしていれば3ギルダーで済みます。

フェルメールはデルフト市民で、親がすでに組合員ですが、6ギルダーということは最後の条件『組合員の元で2年以上の修行をしている』をクリアしていなかったことになります。

つまり、ファブリツィウスやブラーメルの元での本格的な修行の可能性はないのです。

ただし、様式や取り上げた主題からして、この2人は確実に若いフェルメールの関心の中にありました。

アブラハム・ブルーマールト

アブラハム・ブルーマールト

最近では、ユトレヒトの画家であるアーブラハム・ブルーマールトも候補に上がっています。

そう言われる理由は、

◎フェルメールの未来の妻と姻戚関係にある

◎フェルメールがカトリック出身の妻と知り合ったのはこの姻戚関係があったから

◎ブルーマールトはフェルメールが初期に関心のあったカラヴァッジョ様式を教えられる立場にあった

などです。

しかし、上記でいわれる姻戚関係はかなり遠く、また、ユトレヒトはカラヴァッジョ様式の中心地であったとはいえ、それは1620年代のことであり、1640年代後半のブルーマールトはむしろ古典主義的様式に傾斜していました。

クリスティアーン・カウエンベルフ

デルフト出身の物語画家で、フェルメールの修行時代にハーグで活躍していたクリスティアーン・ファン・カウエンベルフも候補の1人です。

この画家は若い頃にカラヴァッジョ様式の作品を描いており、初期フェルメールの主題選択も師の影響ということで説明できます。

また、1640年代末〜50年代の初め、彼はハーグのハイス・テン・ボスの絵画装飾プロジェクトに積極的に関わっており、フェルメールの物語画家になる夢に大きな光を与えたでしょう。

しかも、ハイス・テン・ボス用に描いた作品の一つ《名声のために勝利の扉を開けるミネルヴァとヘラクレス》は、フェルメールの初期作品である【マリアとマルタの家のキリスト】の流動的な筆遣いときわめて近いです。

おわりに

この記事では、フェルメールの師匠とされる人は誰なのかをまとめました。

耳飾りちゃん

結局、「誰なのかわからない」のが結論になりますね。。。

下記では、他にもフェルメール作品(全37作品)を一覧にしてまとめていますので、ぜひこちらもご覧ください。

こちらの記事もオススメ