【フェルメール】デルフトの眺望の意味や解説【決定版】
【デルフトの眺望】は、プルーストも絶賛した独創的な技法の風景画で、作者は風俗画で有名なヨハネス・フェルメールです。
フェルメールの現存する作品の中で風景画が描かれているのは2点だけです。
2点のうち、1点は本作品、もう1点は【小路】です。
この記事では、【デルフトの眺望】について解説しています!
①作品の概要
◎マウリッツハイス美術館所蔵(オランダ・ハーグ)
◎1660年〜1661年ごろ
◎油彩・カンヴァス
◎96.5cm×115.7cm
本作品はデルフトの街並みをスヒー港から眺めた風景画で、マルセル・プルーストに「世界でもっとも美しい絵画」と絶賛されました。
時刻はスヒーダム門の時計から午前7時10分であることが分かります。
日中には大きな賑わいを見せるデルフトの玄関口ですが、まだ陽は昇りきっておらず、人もまばらで閑散としています。
オランダでは、雨の降る日が年間180日を超えることもあり、本作品のような雨上がりの曇天が多いです。
描かれているのは夏の初めで、覆いかぶさるようなような暗い雲や、水蒸気に反射してきらめく光をあますことなく表現するために、フェルメールは画面の7割を空に費やしました。
その雲間から覗く空には、愛用のウルトラマリンブルー(フェルメールブルー)の絵の具が使われています。
また、水面にもウルトラマリンブルーが使われており、白い下塗りの上に薄く塗り重ねることで透明感を出しています。
建物の影の部分は茶色がかった灰色と、灰色がかった青い絵の具で表現しています。
そこには、なんと砂が混ぜられています。
さらに下塗りにも粒の粗い絵の具が使われており、厚く絵の具を塗り重ねた表面には凹凸が出ています。
これが光を乱反射させ、雨に濡れた街の輝きを表現しています。
薄く塗られた空や水面との対比によって、さらに立体感が強調されています。
街や水面や空の輝きはフェルメールの超絶技巧によって描かれたものなのです!
③作品に描かれた6つの名所
①旧協会
11世紀初頭に建てられたゴシック様式の教会で、フェルメールはここに埋葬されています。
②武器庫
当時はホラント州と西フリースラント州が所有していました。
赤い屋根と階段状の破風が目印です。
③スヒーダム門
時計塔として機能したスヒーダム門は、ロッテルダム門とともに1834〜1836年に消失しました。
この時計塔の針は上述した通り、朝の7時10分を指しています。
その時間であれば、水面に映る建物の影はもっと短いはずですが、フェルメールは影を午後のように引き伸ばして描きました。
そうすることによって港に奥行きが生まれて、画面の下半分が安定しています。
フェルメールは、実景を描きながらも、理想的な風景にするため景観に微調整を加えました。
④橋
2つの運河の合流地点に架かる橋は、ロッテルダム問とスヒーダム門をつないでいます。
⑤新教会
1381年に建てられた新教会には、代々オランダ王室の墓があることから、デルフト市民の誇りになっています。
高さ109mの塔を、雲間から差し込む光で照らし出すことで、デルフトの象徴的な建物を強調しようとする意図もありました。
この新教会はフェルメールが誕生後に洗礼を受けた教会で、現在も天気が良ければ塔に登ることが可能です。
⑥ロッテルダム門
デルフトはこの頃、周囲を防除のための壁で囲まれており、人々は各所に設けられた門を通って街に出入りしました。
画面右手に描かれるロッテルダム門は、すでに取り壊されてしまっていますが、すでに取り残されてしまっていますが、デルフト市街から東1kmのところには東門が残されており、当時をしのばせます。
また、この絵でフェルメールは、スヒーダム門の位置を実景とは少し変えて描くことで、景観との調和を図っています。
青い双塔を持つ門と左の主建築部の間にプルーストが絶賛した「黄色い壁」が見えます。
③作品の見どころ・解釈
現存するフェルメールの風景画は【デルフトの眺望】と【小路】の2点です。
特に【デルフトの眺望】は、オランダ風景画の至宝の一つとして特別な輝きを放つ傑作です。
運河が合流するスピーダム港の手前に立ち、デルフト中心部を眺めたこの場所は、いわば市の玄関口です。
均等のとれた美しい街並み、日陰とひなたからなる卓越した光と大気の表現が見事ですが、実景を写実的に描いたわけではありません。
2つの門の高さと位置を大幅に変更し、建物群をほぼ同じ高さに揃えることで水平線的なバランスを与えています。
また本来ならば船の往来があるはずですが、フェルメールはそれらを省きました。
人物は注意深く配置され、運河は波を立てず、フェルメールの風俗画に通じる永続的な静けさが醸し出されています。
また、都市景観画としての美を構築するため、建物群だけでなく光の表現でも巧みな手腕を見せています。
前景は太陽の光を注いでいますが、後景で再び光を照らすことでメリハリのある明暗を作り出しました。
④作品の技法・画法・背景
風景画は16世紀から続くオランダの伝統的な絵画ジャンルです。
豊かな自然の風景はもちろん、16世紀に数多く制作された地図や地誌を飾るために都市の風景もたくさんの画家によって描かれました。
しかし、風景画の中では長年地位が低く、「都市景観画」として確立されたのは17世紀半ばになってからでした。
都市景観画はアムステルダムやハーレムなど海上交易で栄えた都市を中心に発達しましたが、東インド会社の拠点の一つであり芸術都市だったデルフトでも盛んに描かれました。
1654年10月12日、デルフトの中心部で起きた火薬庫の爆発は町に甚大な被害をもたらした一方で、画家たちに都市景観画の題材としてインスピレーションを与えました。
エフベルト・ファン・デル・プールは《デルフトの火薬庫の爆発》で、怪我人や逃げ惑う人々がリアルに描いたのでした。
④おわりに
【デルフトの眺望】は、一貫して評価の高い傑作で、亡くなってから21年後の1696年の競売では、200ギルダー(約200万円)というフェルメールの作品の中でも最高額がつきました。
その120年後、この絵の購入をアムステルダム国立美術館とマウリッツハイス美術館が競い合い、国王が仲裁して所蔵先を決めたという逸話も残っています。
この記事では、【デルフトの眺望】について意味や解釈について紹介しました。
下記では、他にもフェルメールの全37作品をまとめていますので、こちらもあわせてご覧ください。