フェルメールが描いた2つの風景画とは?モデルの場所は?【徹底解説】
ヨハネス・フェルメールは17世紀オランダの風俗画家で現存する作品はわずか30数点です。
ほとんどの作品は室内風俗画を描いていますが、フェルメールは2点だけ風景画を描いています。
その作品は【小路】と【デルフトの眺望】の2点です。
実は、17世紀半ばのオランダでは、風景の中でも都市にスポットを当てた「都市景観画」が流行っていました。
これら2点の作品は、デルフトで火薬庫が爆発した事件から数年後、すなわち1658〜1660年ごろに制作されたと推測されています。
街を復興しようとする市民の間でも、関心の高いテーマだったのかもしれません。
この記事では、そんな二点の風景画についての解説とそれぞれのモデルについて紹介します!
都市景観画①【小路】
◎アムステルダム国立美術館所蔵(オランダ・アムステルダム)
◎1658年ごろ作
◎油彩・カンヴァス
◎53.5cm×43.5cm
伝統的な建物の右端を大胆にたち落とす構図で真正面から描きました。
ごく小さく描かれた人物たちが、平穏の暮らしの温かさを効果的に伝えています。
現在もオランダのデルフトには【小路】の建物のように階段上の破風をもつ伝統的な建物が、街のあちこちに見られます。
都市景観画②【デルフトの眺望】
◎マウリッツハイス美術館所蔵(オランダ・ハーグ)
◎1660年〜1661年ごろ
◎油彩・カンヴァス
◎96.5cm×115.7cm
本作は、マルセル・プルースト(フランスの小説家)に「世界でもっとも美しい絵画」と絶賛されました。
時刻はスヒーダム門の時計から午前7時10分であることが分かります。
日中には大きな賑わいを見せるデルフトの玄関口ですが、まだ陽は昇りきっておらず、人もまばらで閑散としています。
オランダでは雨の降る日が年間180日を超えることもあり、絵のような雨上がりの曇天が多いです。
描かれているのは夏の初めで、覆いかぶさるようなような暗い雲や、水蒸気に反射してきらめく光をあますことなく表現するために、フェルメールは画面の7割を空に費やしました。
雲間から覗く空には、愛用のウルトラマリンブルーの絵の具が使われています。
水面にもウルトラマリンブルーが使われており、白い下塗りの上に薄く塗り重ねることで透明感を出しています。
【小路】と【デルフトの眺望】のモデルは?
フェルメールが【デルフトの眺望】を描いた地点については、大体の場所が判明しています。
さすがに当時と全く同じ風景とはいきませんが、ここから眺めれば作品の雰囲気に浸ることができます。
では、【小路】のモデルはどこにあったのでしょう。
現在、デルフトは17世紀の街並みの保存に努めており、フェルメールの時代にタイムスリップしたかのような建物も見かけます。
とはいえ、長い年月を経る間に多くの建物が取り壊されたため、突き止めることはなかなか難しいです。
これまで、【小路】の現場探しは盛んに行われ、いくつか候補地が挙がってきました。
その一つが、フェルメールの実家メーヘレンの裏手です。
ここには老人養護施設があり、17世紀半ばに聖ルカ組合の建物に立て替えられました。
また、1982年にデルフト工科大学の研究チームが見つけた建物が【小路】にそっくりだと報告していますが、この建物は詳細な調査を行う前に解体されてしまいました。
長らくメーヘレンの裏手が第一候補と見られてきましたが、現在では妻の実家の隣が有力視されているようです。
ただし、候補に挙がった地点はどこも立て替えられ、外見は【小路】とすっかり様変わりしています。
したがって古い資料に頼りに推測する他なく、場所の特定はできていません。
おわりに
もっとも、【小路】のモデルについてはそもそも【小路】が実現したとする前提に立った話です。
一方では、フェルメールが頭の中で創り上げた空間だという見方もあります。
現実を極めて忠実に再現する半面、理想の空間に仕立てるためにトリックを駆使するフェルメールですから、実際の建物をモデルにしたかどうかは別にして、フェルメールなりの創作が含まれている可能性は否定できません。
この記事では、フェルメールが描いた2つの風景画とそのモデルの場所についてまとめました。
下記では、他にもフェルメールの全作品を解説していますので、コチラもあわせてご覧ください。