フェルメールについて

フェルメールが亡くなってからの家族の生活は?【決定版】

デルフトの生涯
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1675年12月15日、フェルメールは結婚まもなくから住んでいた妻カタリーナの実家で息を引き取りました。(享年43歳)

フェルメールの作品はフェルメールが亡くなってからずいぶん経ってから注目されるようになりました。

遺された家族はどのように過ごしたのでしょうか?

この記事では、フェルメールが亡くなった後の家族のその後について紹介します!

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フェルメールが亡くなった後の家族

絵画芸術
絵画芸術

フェルメールの現存作品(37作品)から推測するに、推定全制作点数は55〜60点ほどです。

画家としての活動は22年なので、年間わずかに2〜3点ほどの制作だったことになります。

とすれば、作品からの年収は多くても600ギルダーは越すことはなかったでしょうが、妻の実家に同居し、画商を兼業し、親族から債権を相続し、ある時点からは貸し家も所有していたようなので、それなりの豊かな暮らしはしていたのだろうと考えられます。

しかし、フェルメールが亡くなってから5ヶ月後、未亡人のカタリーナは自己破産を申し立てました。

その際の証言によれば、1972年にフランス軍がオランダに侵攻してきてからというもの、フェルメールは全くの無収入になった、というのです。

この陳述の信憑性は、場合が場合だけに、いささか差し引いて考えなければなりませんが、その頃からパン代を払わなくなったようでしたので、あながち全くの嘘ではないと思われます。

ともあれ、たくさんの子どもがいた未亡人カタリーナは、手元に残った財産を債権者たちから守り、子どもたちを無事育てあげるため、実母とともに様々なことをおこないました。

たまったパン代の担保に【ギターを弾く女】【手紙を書く女】を引き渡したり、手元にあった【絵画芸術】は実母の所有だと主張し、なんとか破産財産の売り立て対象から外そうとしました。

また、実母と相談し、実母の財産が自分の子どもたちに直接渡るように手を打ちました。

それなら、亡くなった夫と自分の債権者たちの手が実母の財産に及ぶことはないというわけです。

義母と妻が亡くなる

フェルメールの墓地
フェルメールのお墓

フェルメールが亡くなってから5年後の1680年、カタリーナの実母が亡くなり、その7年後にカタリーナ自身も亡くなりました。

彼女の最後の日々は借金漬けの悲惨なものでした。

興味深いことに、妻が亡くなってから5ヶ月後に、彼女の娘のマーリアとその夫は、祖母から相続した土地を売り払い、1万3850ギルダーもの大金を手にしました。

事情があって晩年のカタリーナのものにはなりませんでしたが、彼女の実家にはかなりの資産があったようです。

おわりに

フェルメールはこれほどまでに有名であるにもかかわらず、フェルメール没後の家族の生活は大変苦しいものでした。

フェルメールは今でこそ世界中でとても有名な画家のうちの1人ですが、その作品たちが世界的に脚光を浴び始めたのは没後かなりの年月が経ってからだったのです。

下記では、フェルメールが亡くなってからの作品についてまとめていますので、コチラも合わせてご覧ください。

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