【フェルメール】絵画芸術の解説【決定版】
【絵画芸術】は、さまざまな意味が込められた寓意画が特徴的な作品で、作者は【牛乳を注ぐ女】や【真珠の耳飾りの少女】でお馴染みのヨハネス・フェルメールです。
この作品は、フェルメールの全盛期に描かれた作品であり、本人の願いや本人自身が絵画の中に登場するなど、他のフェルメールの作品とは少し趣が異なった作品です。
この記事では、そんな【絵画芸術】について解説しています!
1.作品の概要
◎ウィーン美術史美術館所蔵(オーストラリア・ウィーン)
◎1666〜1667年の作品
◎油彩・カンヴァス
◎120cm×100cm(フェルメール作品で3番目の大きさ)
別名【画家のアトリエ】と呼ばれるこの【絵画芸術】には、様々な象徴や寓意が込められています。
後ろ向きにカンヴァスに向かっているのはフェルメール自身で、奥の女性は文芸の女神クレイオに扮しているとされています。
女性の左手の書物は「知恵」や「知識」、または過去の記録を示す「歴史」を、頭の月桂樹は「勝利」を、右手のトランペットは「告知」を意味しています。
画中の画家は今まさに、その月桂冠を描いているところで、つまり、「歴史の勝利の女神」を描こうとしています。
それがこの絵のテーマであり、「歴史」を描くことが画家の偉大な使命なのだ、とフェルメールが考えていたことが分かります。
2.作品の7つの見どころ・解説
①壁にかかるネーデルランドの地図
この地図は、この絵が描かれるより30年ほど前、1638年に刷られたネーデルラント(現在のオランダとベルギーの一部)が記されたものです。
オランダは1648年にネーデルランドの北部7州が独立してきた国で、地図の時代にはまだスペインの支配下にありました。
ちなみに天井から下がるのは支配者スペイン・ハプスプルク家を連想させるシャンデリアです。
当時は地図の上部を北にする慣例はなく、右が北になっていて、中央の折りシワがちょうど独立した北部と残された南部との境界線にあたります。
つまり、フェルメールはここでも歴史を描こうとしており、それが自分の使命であると表現しているのです。
また、後ろの地図の下部、女神の襟首の右にVerMeer(フェルメール)とサインしているのがわかります。
海洋王国オランダでは地理学も発達し、地図製作は繁栄の象徴でした。
そんな地図に“わが名”を記すことで、自分の名声が各地に広まることを願ったのでしょう。
②歴史を描くフェルメールの後ろ姿
顔は見えないですが、画家はフェルメール自身だという説が強いです。
なぜなら、自画像だと言われる【取り持ち女】の左端の人物と衣装が似ているためです。
この背中に切り込みの入った上衣は、15〜16世紀にブルゴーニュ公国(現在のフランスの東部およびベルギーのあたり)で流行ったもので、ここでも「歴史」を描こうとした意図が読み取れます。
ただし、この服装は、17世紀のオランダでも再流行していたため、歴史を描きながらも時代の先端を意識していたとする説もあります。
③流行していた大理石の床
フェルメールが描く室内画にたびたび登場する市松模様の床には、白と黒の大理石が敷かれています。
オランダの富裕層の間で流行したこの床を、一般家庭ではタイルで代用し、市松模様に仕立てていました。
この市松模様の床は、遠近感を表現するための演出として描いているという一面もあります。
④モデルは画家の娘?
トランペットを持つ女神クレイオに扮しているのは、音楽を愛したフェルメールの娘ではという説もあります。
この絵は、フェルメールが亡くなった後も、妻のカタリーナが手元に置こうとした数枚の中の一枚ですが、それは、最高傑作であると同時に父娘の記念ショットだったからという説があるのです。
一方、モデルはカタリーナ自身だとする説もあり、真相はわかりません。
⑤室内を舞台のように演出する
舞台の裏のような厚いカーテンも、フェルメールが好んだ“舞台装置”の一つです。
カーテンは「向こう側に真実が隠れている」ことを暗示し、それを開くことで、鑑賞者に絵画芸術の真の姿を見せようとする創意がうかがえます。
また、親密な空間を“のぞき見”していると感じさせる効果もあります。
カーテンには光の反射を明るい色の点で表現するポワンティエ技法が用いられ、まばゆい豪華なものとして描かれました。
17世紀スペインの宮廷画家ベラスケスが描いた《王妃マリアナ・デ・アウストリア》でも、カーテンが効果的に使用されています。
⑥名声を広めるトランペット
トランペットは「音を遠くまで運ぶ」ことから「名声」を意味します。
また進軍の際にも吹かれるので「勝利」を意味することもあります。
ちなみに、天使もたびたびトランペットを持った姿で描かれますが、これは天使が神のお告げを広く伝える存在であるためです。
17世紀のフランスの画家ミニャールが描いた《クレイオ》も、トランペットと書物を持ち月桂冠を被っています。
⑦画家のアトリエであることを示す石膏マスク
テーブルに何気なく置かれた石膏のマスクは、古代ギリシャの時代から、演劇役者が役作りのために被っていました。
この「他者になりすます」という意味から転じ、マスクは「模倣」を象徴する小道具として描かれるようになりました。
また、石膏像は型を作れば何度でも同じものができあがることから、仮面と同様「模倣」を意味しました。
「芸術は模倣から始まる」という教育があり、フェルメールはマスクを置くことで、ここが画家のアトリエであることを強調しました。
3.作品の画法・技法・背景
フェルメールの現存作品のなかで、初期の物語画を別にすれば、最も大きいのが本作品です。
フェルメールが亡くなった後も、家族の手元にあったことがわかっているので、注文ではなく自発的に制作されたと見て間違いありません。
ヨーロッパでは古来、詩人や音楽家が「芸術家」とされるのに対し、画家は「職人」と見なされてきました。
14〜16世紀にわたるルネサンスが人々の意識を変えましたが、それでもまだ、画家を一段低く見る傾向は残っていました。
フェルメールはこの大作で、画家は歴史を記録する者であり、女神からインスピレーションを受けて絵画を創造する「芸術家」なのだと、高らかに宣言しているのです。
4.おわりに
女神の白い襟の描き方は【真珠の耳飾りの少女】と酷似しており、同時期の作品だということがわかります。
フェルメールがこの作品を死ぬまで所有していたことからも、本人にとって重要な作品だったことがうかがえます。
そして、本人の死後、妻も経済的に困窮しながらも他人の手に渡らぬように努力しました。
下記では、他にもフェルメール作品(全37作品)を一覧にしてまとめていますので、ぜひこちらもご覧ください。