フェルメールの全盛期は?成熟の時代
【牛乳を注ぐ女】や【真珠の耳飾りの少女】でお馴染みのヨハネス・フェルメールですが、最初は物語画家から出発し、後に風俗画家に転身しました。
そして1660年代には、フェルメールが自分の型を確立し、そのバリエーションを様々に工夫して、私たちがよく知るいわゆるフェルメール作品を生み出していきました。
この記事では、そんなフェルメールの全盛期について紹介します!
成熟の時代
当時のオランダの画家たちは、美術市場というあてにならないマーケットに向けて仕事をしていました。
そういう場で買い手を見つけるには、他の画家の作品との違いが最も重要になってきます。
多くの場合、画家たちは携わるジャンルを専門化し、効率的な腕の向上と制作を狙いましたが、フェルメールはあくまで質を重視して市場と対峙してきました。
一目見て、「あっ!フェルメールの作品だ!」となれば、買い手は動き、次の買い手を誘い込めますよね。
全盛期の作品の特徴
この頃の作品には、白と黒の大理石が敷き詰められた清潔な部屋の一隅にたたずみ、座る女性が多いです。
たいていが左側に窓があり、そこから北方の弱く、柔らかな光が差し込んできます。
女性は時折男性とともそこでおしゃべりを楽しみ、音楽の稽古に励み、お酒を嗜みます。
あるいは独り家事に没頭し、手紙を読み、書き、受け取り、身支度をし、音楽を楽しみます。
寓意画で主人公が一人になってもこの型は守られ、一目でフェルメール作品と識別できました。
この頃から、「フェルメールらしさ」が作品に際立つようになっていきました。
この頃の作品一覧
牛乳を注ぐ女 | 1660年(28歳) |
ワイングラス | 1661年(29歳)〜1662年(30歳) |
水差しを持つ女 | 1662年(30歳) |
リュートを調弦する女 | 1662年(30歳)〜1663年(31歳) |
音楽の稽古 | 1662年(30歳)〜1664年(32歳) |
真珠の首飾りの女 | 1662年(30歳)〜1665年(33歳) |
青衣の女 | 1663年(31歳) |
天秤を持つ女 | 1664年(32歳) |
合奏 | 1665年(33歳) |
手紙を書く女 | 1665年(33歳) |
真珠の耳飾りの少女 | 1665年(33歳) |
赤い帽子の女 | 1665年(33歳)〜1666年(34歳) |
少女 | 1665年(33歳)〜1667年(35歳) |
フルートを持つ女 | 1665年(33歳)〜1670年(38歳) |
絵画芸術 | 1666年(34歳)〜1667年(35歳) |
婦人と召使い | 1666年(34歳)〜1667年(35歳) |
天文学者 | 1668年(36歳) |
地理学者 | 1669年(37歳) |
おわりに
この記事では、フェルメールの全盛期の様子や作品についてまとめました。
フェルメールは40代で亡くなっており、全盛期も他の画家に比べると短かかったようです。
30代後半からはフェルメールの晩年と呼ばれる時期に差し掛かっていきます。
下記では、フェルメールの晩年についてまとめていますので、コチラもぜひ参考にしてください。